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2017年6月26日 (月)

吉田分校(8)

吉田分校(8)

 

さて学校での授業は続く。 私達工科系の学生にも人文系の教養科目の単位は容赦なく課せられている。 ボート部の練習との兼ね合いで、どうしても選択しなくてはならなかった課目は「倫理学」。 この課目で学生は私を含めて5人だけ。 私以外は女子学生1名と3名の男子の文学部の学生だけだ。 

 

教科書はドイツから取り寄せた"Georg Simmel: Hauptprobleme der Philosophie"。 教官は学生にページを割り当て、予習してきて教室で順番に翻訳せよという。 

 

私は訳本を持っていないから、毎週1回合宿所の読書室で独和辞典をひいて単語をノートに書き込まなければならない。 文学部の学生は怠惰だからよくさぼる。 教室では教官と女子学生と私の3人だけという場合もおおかった。 

試験を受けなくても1年間に3回以上さぼらなければ単位だけはくれるというから私は逃れられない。

 

さて、さぼった学生の担当箇所は教官が翻訳して、内容を説明する。  ドイツ語の文章はひいた単語を文法どおり日本語で並べればよい。ただし、その日本語の哲学用語の意味がさっぱり分からない。 私には哲学はチンプンカンプンだ。 教官は根気よく私の訳をなおし内容を説明してくれた。

 

冬になった。 この年も残り少なくなった。 学校が冬休みになりほっとした。 なおも瀬田川と琵琶湖の練習はつづく。  

 

昭和35年(1960)となった。 世間の経済状況はますますよくなった。 みんなは、イデオロギーに関係なく、明るい未来を信じた。

 

1月後半と2月前半は試験期間となり、西宮の家から片道2時間半以上かけて通学だ。 

普段の合宿生活であまりよく勉強できていなかった数学、物理学、力学、語学は基礎が大切だから、にわか勉強ではたいへんだ。 

人文系の学科は出席点やら、適当な作文で切り抜けた。 地獄の1ヶ月が過ぎて、学部に進級の単位は最小限とることができた。 

 

しばらくして、ふたたび瀬田川河畔の合宿所での生活が始まる。 あっと言う間に教養部の2年間が過ぎた。  吉田分校ともお別れだ。

 

4月からは東一条をはさんで北側の本学構内の古色蒼全とした機械工学教室に通うこととなった。 

教養部のクラスは分解され学生はそれぞれの学科にゆく。 

学生も教官も教室も雰囲気ががらっと変わった。 教授による授業も重々しく、専門的だ。 私も大人になった気分だ。 

 

しかし5月の予選が済むまでは、あいかわらず私の瀬田河畔での合宿生活は続く。

 

(おわり)

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吉田分校(7)

吉田分校(7)

 

10月になると恒例の琵琶湖周航がある。 これは2回生が主力で、数名の上級生たちの指導で23日の行程で大きな木造のフィックス艇数艘で琵琶湖を一周する。 

 

琵琶湖は南北の長さ60km、東西の最大幅20km。 湖の水は瀬田川に流れ込み、川口から1km下流の右岸に私達の艇庫がある。 

おだやかな天気のとき波はないが、強い風のときには高い波がたつ。

さて25名の部員が3艘の艇に乗船した。 6人の漕手とコックスは定位置に、残りは交代要員として前方と後方に坐る。 時間をきめて役割を交代する。 

 

早朝に船台から北へ向う。 同時に4名のマネジャーが艇の安全航行の見張り役兼伝令役、そして、食料品調達係として自転車で陸路出発する。 出発してから数時間で雨が降ってきた。  風も強くなった。 私達はずぶぬれになった。

 

昼頃、岸に寄り砂浜に艇を引っぱり上げ、枯れ枝を拾って焚き火をおこし、服を乾かした。 私達は松林に座り、昨夜マネージャーが作ってくれた色々なおかずを埋め込んだ赤ん坊の頭ほどの握飯を食った。 しばらく休んでから艇を湖へ引っ張って浮かべ、第一夜の停泊地へ向った。 

 

17:30頃、暗くなりかけたころ左前方の浜に大きな焚き火を見つけこれが最初の宿泊地だと分かった。 私達は漁港に艇をつないだ。 自転車でずっと早くに到着していたマネージャーたちは、八百屋や魚屋で、じゃがいも、たまねぎ、にんじん、鯨肉などを買い求め、宿泊所で調理して大釜へほり込み、ごった煮と飯を炊いていた。

 

次の日予定表にしたがって東に進路を取り「竹生島」を目指した。

時間が過ぎるにつれ風が強くなり、波は高く、漕ぐのが難儀になってきた。 エンジン付きの漁船が近づいて来て、東方へ向うのは危険だから北方の小さな農漁村「菅浦」へ向えと言った。  一行は予定を変更して琵琶湖で最北の小さな村「菅浦」で一晩やっかいになることに決まった。

 

3時頃艇を漁港につないで村の寺に一晩やっかいになった。 村人は私達一行に食べ物をもち寄ってくれた。 食事のあと正座した一行の前に住職が現れた。 一行の責任者が住職に感謝の意を伝える。 それをうけて、住職は説教を始める。 私達は正座したまま拝聴する。

 

3日目の朝。 一行は出港する。 村人たちは岸で見送る。 

村人たちの中で何人もの若い娘たちが手を振っている。 昨日この村には若い女がいないと不思議だったが、学生と問題を起こすのをおそれて娘たちを隠していたのだと、私達一行の部員で大学新聞のレポーターを兼ねていた男の記事にあった。 

 

天気は良い。 竹生島に漕ぎつく。 昼飯を食って休憩する。 泳いだり遊んだりして時間を過ごした後、乗艇して次の宿泊地「長浜」へ向う。 陸路自転車のマネジャーが飯を準備してくれる。

 

周航4日目の朝は快晴だった。 湖面も静かだ。 帰路は順調だった。 午後6時半に瀬田川の艇庫前船台に帰投した。

 

周航が終ると来年5月の戸田で行われる、ローマオリンピック予選競漕に出場する対抗エイトと対抗フォアに出場する予定のクルーメンバーが決められた。  私は対抗フォアのコックスをおおせつかった。 今後は冬の試験期間中の1ヶ月をのぞき、来年5月までこんどはホンチャンの合宿所で生活だ。

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吉田分校(6)

吉田分校(6)

 

夏休には西宮の家で岩波文庫の訳本「ファウスト」と原書Faust, Ghaete (1808年)を1ページづつ読むことにした。 合宿所にいるうちに、根気よく辞書をひくよりは、まず訳本を見てから、原書を見て、それらを見比べて単語の意味を知る、という癖がついてしまった。 よほど手っ取りばやい。

 

さて、年老いるまで学問に打ち込んできて、すべての知識をものにしたファウスト博士、なにかものたりない。 若さを取り戻したい。 そこへ現れた悪魔のメフィストフェレス。 「じいさん、お前を若返らせてやろう。 ただし、じいさんが、これで自分は満足だ。 というまでの期間だ。 この契約期間が過ぎればお前の魂はわしが頂く。 そして地獄につれてゆく。 この契約でどうだ?」 ファウストはメフィストと契約を結び、若返る。 

 

ファウストは青年の理想主義者。 

メフィストは有能な現実主義者でファウストにとって世間の道案内者。 メフィストは現実での知恵もファウストに授ける。 

 

ファウストは恋愛を手初めに、色々な世間を生き、魔女と悪魔のいかがわしい祭りワルギスナハトにも参加する。 あらゆる現実社会に生きてみる。 ついにファウストは政治をはじめる。 国のリーダになり善政をしく。 そして、満足のあまり「ああ、私は満足だ。 時よとまれ。」

 

メフィストが現れて「これで、契約期間がきた。 魂を頂くから、一緒に地獄へ行こう」。

おっとどっこい、話しが急に安っぽくなり、天上から見ていた神がファウストの魂は極楽へ、と天使を遣わせる。

 

私には「ファウスト」はむつかし過ぎた。 抽象的な文章は苦手だ。

昔の学生なら読んだといわれていたから、意地でも読んでおかなきゃと思って読んだ。 もうこりごりだ。

 

急に前に読んだ「ハックルベリー・フィンの冒険」(1885年)を思い出した。 物語の最初の方。 信心深いおばさん。 ハックに「お前のような悪ガキは地獄に堕ちるよ」と脅す。 ハックが「ゴクラクは退屈やろ。 ジゴクの方がよっぽどおもろそうや。 わいはジゴクにいきたい。」というくだりがある。

 

余談だが、就職してからずっと後になって読んだ「資本論」(マルクス、1867年)には貧乏人の地獄とその成り立ちが書いてある。 その理論をよりどころに、労働者と貧農の極楽を創ろうと息巻いて「共産党宣言」ができた。 スターリンと毛沢東が赤い旗印のもと、数千万の自国民の血を流して作りあげた極楽がソ連だとか中共などだ。

 

さて、高校の友達と会って大阪の歌声喫茶へ。 はやりの歌声喫茶では、アルコールも飲める。 数十人の若い人たちや学生がアコーデオンやピアノの伴奏で労働歌(きけ万国の労働者、インターナショナルなど)、学生歌(国際学連の歌、旧制高校の寮歌など)、ロシア民謡などを合唱する。 

 

無料の小さな歌集が配られる。 

ロシア民謡と称する歌は、いくつかの本物(ボルガの舟歌、トロイカなど)と、多くはソ連の軍歌(カチューシャ、ともしび、バルカンの星の下でなど)である。 

私はアルコールのおかげで、ステージにあがりアコーデオンに合わせて「逍遥の歌」を歌った。 気持ちがよかった。

 

試験の準備と試験期間中は合宿所では飯はつくらないから、おのおのが自分の下宿や家から通う。 私は9月の初めから試験の終わる10月初めまで西宮の家から通った。 

 

「数学」では、微分方程式、演算子、ベクトル、曲率、捩率、・・・新しい項目が次々出てくる。 「力学」や「物理」では、電磁気の場、ベクトル場、ストークスの定理などが数学に先行して出てきて混乱する。 こんなのは、統合して教えてくれればもっと分かりやすいはずなのに。 何が何やらわからぬうちに付け焼刃で試験の単位だけは取った。

試験が終わるとふたたび合宿所の生活となる。

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吉田分校(5)

吉田分校(5)

 

さて、6月からはレガッタの季節だ。

最初の2000メートルレースは同志社と教養部対戦。

 

レースのときは東海道線の鉄橋の2箇所の橋げたにロープがくくり付けられ、その先に木のバトンが流れに浮いている。 競漕する2艘のコックスは決められたバトンを右手につかむ。 艇は橋げたからいつでも飛び出せるよう下流に向けてとどまり、漕ぎ手はオールをひけるようずくまる。 

 

上流からゆっくり審判のモーターボートが近付き主審が大きな旗を振って「ゴー」と号令する。 コックスはバトンを手放し、首にかけたストップスイッチとラダーロープを掴む。 漕手は艇を停止状態から急に加速するため短いストロークで数かきしてすぐ「スタートダッシュ」にはいる。 ストローク数を計測して定常のストローク数におとす。

 

スタートで抜かれたまま前半を過ぎ、川幅が広くなってカーブのあるところまで来た。 カーブを曲がって後半になってスピードがあがり追いつきおいこすことができた。 かなりの差で勝つ

 

7月に東大とのジュニアクルー対抗戦(3200)は隅田川で行われる。 コーチ、マネージャー、クルーは東海道線で上京した。 私にとって初めての東京である。 

 

都電に乗った。 私達はつり環につかまって大きな声で関西弁でしゃべる。 座っている人たちは、目をまるくして不思議そうに私達を見あげる。 彼らは関西弁はラジオかテレビの漫才・喜劇で使われる特別な言葉で、普通の生活の言葉とは思っていないのだろう。

江東区向島という隅田川河畔には共同の合宿所と艇庫があり、私達はそこへ落ち着いた。

 

船台から川をのぞきこんでびっくりした。 なんと汚い水だ! 木切れが流れてくる、あらゆる種類のゴミが流れてくる、子豚の死骸が流れてくる。 汚物にまみれている。 匂いもひどい。 おまけに下肥をのせたオワイ船が大きな波をたてて下って行く。 地上の悪い物のすべてが流れている。 病気に感染したら重大事だ。 

 

練習がおわると顔を洗い、うがいをし、目薬をさし、風呂屋に直行する。 漕手の尻はすりむけている。 互いに赤チンを塗りあうから、風呂屋でエテ公のような尻の赤い体格のよいヤツらはどこかのクルーの漕手だ。

 

私達は瀬田川の清流か、琵琶湖の水で艇を漕いできた。 一休みには水をすくって顔をあらったり、口にふくんだりしていた。 

東京の奴らはとんでもないところでボートを漕いでいるんだなとおどろいた。  ここで一週間練習、そして3200mレースで負けた。 あまり思い出したくない。 が、汚水のしぶきをあびたときの臭気と気味の悪さだけはときどき思い出す。

 

レースが終わって何日か東京に滞在したとき、埼玉の叔父が私と小学生の従妹とを「はとバス」で東京見物をさせてくれた。 皇居、丸の内のオフィス街、明治神宮、その他はじめてのものばかりだった。

 

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吉田分校(4)

吉田分校(4)

 

さて、ボートの話にもどろう。 私は6月末の対同志社ジュニア戦(2000m)と7月末の対東大ジュニア戦(3200m)のエイトのコックスとなった。

 

エイトは漕手が8名。 舵手(コックス)が1名。 

右舷(バウサイド)前から1(バウ)、35、7番。 

左舷(ストロークサイド)前から2468(整調)。

船尾にコックス。 

 

漕手は進行方向に背を向けている。 前方が見えない。

バウは前から全員のオールが見渡せるから、他の漕ぎ手の欠点が見える。 

4番オールが浅い」、「7番引きが弱い」とか。 バウはレースの時には相手クルーをやじる。

 

整調は常に模範のピッチで漕ぎ、他がそれに従う。 

戦況、疲労状態を考え、コックスと相談し、コックスが号令する。 

「ピッチ37でゆこう。 さあ行こう。」 すべてリズムが大切だ。

 

瀬田川で練習するときにはコーチは川岸を自転車で走ってメガホンで指示する。 

「パドル50本!」。 

コックスはコーチの言葉を受けてメガホンで「パドル50本いこう。ピッチ38! よーい、ロー!」。 

コーチは陸をはしりながら、

3番キャッチが甘い。」、「5番引きが短い!」、「2番蹴りが弱い!」とか。

 

湖面の静かなとき。 琵琶湖で練習することもよくある。 

コーチがモーターボートで艇についてくるときには競艇用のエンジン音がやかましくて我慢ならない。 

コーチがはるか西側の岸を自転車で走りメガホンで怒鳴るときには、かなり静かである。 

「イージー、 イージーオール」  漕手全員がオールを左右に水平にして、艇のバランスをとり、惰性で進行する。

 

湖面のあちこちにのんきに浮かんで首をのばしていたカイツブリ(水鳥の一種)が、艇を避けて一直線に20メートルほどツツツーと走って潜る。

 

北に向かう。 左舷(西岸)には比叡山の5月の緑、頭上には真っ青な空と太陽、右には水面と遠方に青色にかすむ伊吹山系が見える。  

鏡のように静かな湖面はこれらを映している。 私達は半球の空間の中心に浮かんでいる。

東岸には背の高い葦が生えていて湖の沖に向って定置網(えり)が仕掛けてある。 右手に「えり」を見ながら静かな湖面を北上するときは沢山の渡り鳥が浮かんでいて、艇が近づくとさーっと群れになって飛び立つ。 

瀬田川で練習しているときとはちがった広々した気持ちになる。

 

5月には新入生たちの学部レースがある。 彼らは本チャンの合宿所に泊まる。 

終了後コンパ 石山寺の紫式部が源氏物語を執筆していたという場所までランニングして駆け上る。 ああしんど。

 

通常は学校から帰ると4時頃クルーがそろい準備運動をしてから艇に乗り練習にはいる。 

薄暗くなるまで練習して、艇を艇庫におさめて最後の体操をして合宿所にもどり、公衆浴場へ。 そしてガヤガヤと飯。 マネージャーは大きな釜に炊いた米7割、麦3割の飯をドンブリについでくれる。 通常は副食はやはり大きな釜で炊いた鯨肉、じゃがいも、にんじん、ごぼう、なんでもありのごった煮。 ミソ味、カレー味、ポタージュ味、酒かす味。

 

暑くて寝苦しいときには艇庫の観客席に寝転んで空を見る。 満点の星空。 天の川、白鳥座。 あるときは散歩で蛍谷へ散歩。 ここは蛍がたくさん飛んでいて、すこし涼しい。

 

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吉田分校(3)

吉田分校(3)

 

さて、ボートのコックスといえば、よそ目には漕手に重労働をさせて、顔のメガホンから号令して、船尾にふんぞり返ってラクして風にふかれているように見えるらしいが実情はそうではない。 

 

まず真っ直ぐに操舵すること。 これがもっとも難しい。 遠い前方に重なる2つの目標を定めこれを外さない。 横風があり、流れがあり、ひと漕ぎごとに漕手の左右のアンバランスがあるから直線に進ませるのはもっとも難しい。 

 

次に細い艇のバランスを取るのも結構面倒だ。 わがクルーの漕法はキャッチ漕法といって、漕手全体の息が完全にあって、かつ風や波がないときには、理論的には最善だが、そうでない場合には不安定である。 (他の多くのクルーが採用しているフィニッシュ漕法の方が安定している。)

 

右手のストップウオッチで、常に定めたピッチで漕いでいるかをはかり、適宜号令すること。 レースではスタートダッシュ、コンスタント、せりあったときのダッシュ、など決められた作戦、漕手の疲労状態、相手の状態からの作戦を整調(8番)と相談しながら号令を下す。 

 

漕手から見れば、コックスはローマの軍船の船尾で、太鼓でリズムをとりながら、奴隷の漕手に命令を伝える号令役だ。 親分のコーチの執行小役人ていどに見えているのだろう。 

 

さらに早朝、各部屋を回って「モーション」と大声を出し皆を起こしてまわる役割ももつ。 眠いのを叩きおこされる漕手から見れば憎くて当然の役割である。  

 

もっとも私は若くて単純だから、コーチに言われるままに伝令するだけで、漕手が考えることなどに気はまわらない。

 

さて学校。 ドイツ語講読の教科書は"Die Frau des Pilatus" von Gertrud von le Fort)「ピラトの妻」。 隣の「ホンチャン」の合宿所へゆけば、読書室もあり勉強もできるが、教養部の合宿所では自分が教室で読まさられるところだけ寝転んで単語をひいて行く。 訳本をもっていればもっと手抜きできるが、もってないからしかたがない。 もっとも、単語さえひいておけばドイツ語は論理学のように機械的に言葉を並べれば、単純な物語では比較的簡単に解読できる。

・・・

この本はローマからユダヤを治めるべく派遣された総督ピラトの妻クラウデイアの物語である。 ユダヤの民衆はイエス・キリストを捕らえてローマ派遣総督ピラトの邸宅へ引っ張ってきた。 イエスは反逆者だから、彼に死刑を宣告してくれと騒いできたのである。

 

ピラトはもともとイエスは正しいと思っている。 

ピラトは裁断を下す前に沐浴して身体を清めユダヤの民衆の前に立つ。 そのとき妻クラウデイアが、女中をつかわし、彼女は不吉な夢を見たのでイエスを開放するようにと懇願する。

 

ピラトはユダヤ人たちにいう。 イエスは悪くない。 丁度復活祭だ。 このしきたりにそって、別の悪人バラバを代わりに死刑にするから、それでイエスの処刑は許してやってはどうかと持ちかける。 

 

ユダヤの民衆はがんとして受け付けない。 

(この情景はパク・ウネ弾劾を要求する韓国のデモ隊そっくりだったのだろう。)

 

民衆は聞きいれない。 叫ぶ「駄目だ。 イエスを磔に! イエスを十字架に! 彼は皇帝の敵だ!」 イエスは十字架にかけられる。

 

ピラトは善人だ。 しかし決断力がない。 彼は民衆のイエスにたいする慈悲を期待し、同時に民衆を満足させようとした。 しかし、彼はユダヤのおろかな民衆の声の大きさに負けた。

 

ピラトにはローマから派遣された総督として絶大な権力がある。 「わしはイエスを解放する! お前たちの方が悪い! ぐずぐず言わず立ち去れ。 でないとローマ法典に照らしてお前たちを厳重に処分するぞ!」とも言えたはずだ。

 

「正義」を選ぶか「衆愚」を選ぶか。 正解はないだろう。 ただ、選ぶときは断固として決断して、あとは結果を静かに待つしかない。

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吉田分校(2)

吉田分校(2)

 

工学部の私達は必須科目(語学、物理、化学、数学、力学、演習、実験)を絶対にサボルことはできない。

選択科目にも最低限絶対必要な単位があるから、ボートの練習時間にあわせてやりくりするのは大変である。

 

水曜日と金曜日は早朝に乗艇練習をするので、8:10-10:00に間に合うようには登校できないから、最初から授業を選択できない。 

一般教養科目はできるだけ単位の取りやすいものを選択したいが、時間の都合でしんどい科目もある。 

 

体育会系は体育実技のみは出席を免除されているからこれは欠席である。

すくなくとも落第しないための最低限の時間割である。

 

東一条に面して学校の門と同じ側で吉田山側にはナカニシ書店というのがあり、また本学の本館の地下にはレストラン、散髪屋と生協の本屋がある。 さらに丸太町通りには多くの古本屋があって教科書の古いのを安く買うこともできる。 大抵の教科書はそろう。

 

私達には数学は大切だが、宇治分校のときに指定された矢野健太郎の誤字だらけの「代数学と幾何学」、「微分積分学」に気分をそこねていた。 吉田分校では数学の教科書は指定されていない。 

 

参考書として新たに買った高木貞二の「解析概論」、竹内端三の「高等微分学」、「高等積分学」は装丁もしっかりして、文章もカタカナで厳密に書かれている。 矢野健太郎のとは大違いだ。 数学の教科書でひらがなで書かれたのにはロクな本がないのだろう。  

もっともソ連の訳本スミルノフの「高等数学教程」はひらがなだが、しっかり書かれており、こちらを購入している学生も多かった。  

 

授業はほとんど教科書を使うことはなく、ベクトル解析や微分方程式は必死に黒板に書かれたものをノートに写した。

 

物理学は宇治分校で物理学概説上巻が済み、下巻の(吉川泰三 他)の電気磁気学のところからはじまった。 あらたに力学概説(多田政忠)を使った力学の授業も加わった。 

最初のうちはやさしかったがだんだん何がなんだかわからなくなってきた。 試験のときが思いやられる。 

 

英語のひとつは宇治分校で「アメリカの悲劇」を使った共産党シンパの教官が、こんどは「理科系レポートの書き方」というアメリカの大学の教科書50人分を授業の間だけ配って授業が終わると回収する。 

私達にその教科書をもとに英作文を課した。

 

英語のもうひとつは「Rainbow, D. H. Lawrence」の講読の授業で、自分の分だけ単語を引いておいて授業で立って訳する。 すでに訳本を古本で手にいれているので、お安いものだ。 この教官はD. H. Lawrenceのファンらしく、「チャタレイ夫人の恋人」とか、なんだか不倫っぽい作品がお好きなようである。

 

ドイツ語はあいかわらず「文法」と「講読」の2教官による授業。

 

さて、合宿所では通常朝5時に起床する。 眠たい目をこすりながら前庭に集合してそのまま決められたコースのランニングを開始、「蛍谷」というくぼ地から山の中へと走る。 

 

走っているうちにひとり消え、またひとり消えて草むらで用足し。 勿論チリ紙など持っていないから、できるだけ適当な葉っぱをちぎる。 終わったらすぐ走る。 それぞれが、ばらばらになって決められた道を走り終わって合宿所の前庭にばらばらになったメンバー全部がもどってきたら、柔軟体操をして、腕立て伏せや懸垂などの強化練習ののち顔を洗い歯を磨く。 

 

待望の朝飯。 マネージャーがすでに2つの大きな釜に米7麦3の飯とみそ仕立てのごった煮を作ってくれている。 がやがやと飯を食う。 そして7時前頃に京津電鉄「石山寺」の駅へ。 電車を東3条で下りて市電に乗り換え東一条まで。 吉田分校へ駆け込んで、教室へ。

 

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吉田分校(1)

吉田分校(1)

 

昭和34年(1959)に私たちは吉田分校へ進級した。  当時の引越しは簡単だ。 布団ズックに布団、寝巻き、教科書類、ノート類、小物を詰め込む。 エフ(名札)にあて先を書いてくくりつけ国鉄の駅まで自転車またはリヤカーで運ぶ。 

 

あて先までの切符を買って、チッキで荷物を送りたいと告げる。 送り先の駅での受け取りチェックをもらい、別の日に国電で移動先へ行く。 移動先の八百屋などでリヤカーを借りて、駅で自分の布団ズックを受け取り、自分の宿に持ち込む。 行く先は国鉄「石山」。

 

瀬田川の唐橋から少し下流の右岸に観客席をかねたコンクリートつくりの大きな艇庫があり、艇庫の入り口の前に広場、その次に学部の合宿所、その横に教養部の合宿所がある。 

これからは瀬田川の教養部合宿所で生活し、吉田分校に通学することになる。

 

教養部(ジュニア)の合宿所は2階建てで、管理人家族4名、ジュニアエイト、ジュニアフォアその他の2回生ばかりの選手20数名とコーチとマネージャーが数人寝泊りする。 

 

隣には学部(本チャン)の大きな合宿所があり、ここは対抗エイト、対抗フォア、その他のクルーと医学部フォアのクルー、コーチたち、マネージャー数人と大所帯だ。 ホンチャンにはときたま新人メンバーも合宿する。

 

ホンチャンの一角には医学部クルーが常に住み着いている。 私達から見ればかなり年上のおっさんたちだ。 瀬田川沿いの散歩道に合宿所は面している。 本物のシャレコウベを顔につけ毛布をかぶって、2階の部屋の大窓枠に腰掛けて、のんびり散歩する若い女性たちをおどかして面白がるのは彼ら医学部のおっさんたちだ。  

 

季節は春で合宿所のまわりや、付近は桜が一杯咲いている。 京津電鉄「石山寺」駅から下流にある石山寺、南郷洗堰までには川の右岸の道に沿って何軒かの旅館がある。 観光客ものんびり散歩だ。

とにかく、緑が多く、桜も多い。 

 

ところで、昨年入学式のあと機械工学科の50名の新入生が学科案内をされた。

教授から、

「すでに承知していると思うが、当科は5年制(教養部2年・学部3年)の制度としている。

諸君はこれから2年間の教養部で、一旦ばらばらに分かれて他の学科の学生たちとの混合の組にはいる。 

勉学やスポーツに、2年間を有意義に過ごして、単位を残さずに、無事に進級してくるように」

と言い渡されていた。 

 

そして現在私が所属している教養部T8組には機械工学科の学生はたしか8名ほどいる。 

 

ボート部では先輩が「宇治分校にいるうちに教養科目は単位をできるだけ多く取っておけ。 2年目になると練習の都合で取れない授業もある。」と言っていた。 

 

吉田分校は1869年に大阪に設立されたビールなどの発酵工学を研究する舎密局(ケミストリーを意味する学問所らしい)を母体として大阪につくられた学校が、1889年に京都に移転して第三高等学校となり、戦後の学制改革によって教養部吉田分校となったものとのことである。  時計台のある本学の門と東一条通りをはさんで向かいあわせに分校の門がある。

 

T850人は、宇治分校でのいままでの教官と新しく加わった教官とに旧三高の教室で授業を受ける。 教養科目だけはクラスがばらばらになり、それぞれが選んだ科目を、他のクラスの学生とともに聴講する。 私の授業の時間割は次のとおりである。  

講義時間

(1) 8:10-10:00 (2) 10:10-12:00 (3) 13:00-14:50 (4) 15:00-16:50

 

月曜日 (1) 英語  (2) 哲学   (3) (4) 実験(前物理、後化学)

火曜日 (1) 化学  (2) 物理   (3)力学演習

水曜日 (1) なし  (2) 力学  (3) 独語

木曜日 (1) 数学    (2) 独語   (3) 倫理学 

金曜日 (1) なし    (2) 英語   (3) 法学

土曜日 (1) 数学    (2) 体育実技

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2017年3月24日 (金)

宇治分校(5)

宇治分校(5)

 

ところで、学校から東の方に電車の「黄檗駅」があり、線路からさらに東には黄檗宗大本山の「万福寺」がある。 黄檗宗は禅宗のうちでもやや臨済宗に近い。 黄檗宗は唐の僧・黄檗希運(860)の名に由来する。 「万福寺」は清から日本に招聘された僧1654年によって建立された。

 

12月に端艇部の新人は先輩の指導のもと「万福寺」に20日間ほど合宿することになっている。 

5時に起き、トレーニングをし、僧の指導で座禅、読経して7時頃に朝飯を食べ、その後登校する。 放課後にまたトレーニングがあり、7時に晩飯を食べ、9時から30分くらい年長の修行僧の監督のもと座禅して、その後就寝する。

 

座禅の時は住職が上座につき、修行僧たちと私たち学生は互いに3メートルほど隔てて、2列に面座して結跏趺坐する。 最初、結跏趺坐は足がすぐ痛くなり難儀したが、徐々に慣れていった。

監督の修行僧は言う。

背筋を伸ばし、肩の力を抜こう。

ゆっくりと息をはき、ゆっくりと息を吸おう。

自分の吸い込む息とはく息に集中しよう。

雑念が吐く息とともにゆったり宇宙に流れ出てゆき、

宇宙の気が、ゆっくり自分の腹に吸い込まれてゆくのを感じよう。

 

息を吐く・・・息を吸う・・・息を吐く・・・息を吸う・・・

くさぐさの雑念はゆっくり流れ出てゆく。  同時に身体の感覚が研ぎ澄まされてくる。

鼻の頭がかゆい。  背中もかゆい。 昼間教室のドアで思いっきり打った左のひじが痛い。

雑念がきえると、こんどは足が強烈に痛み出し、座禅の姿勢をくずさねばならなくなった。

 

瞑想?のあとには「摩訶般若波羅蜜多心経」を合唱する。

「・・・舎利子。色不異空、空不異色、色即是空、空即是色。受想行識亦復如是・・・」

私は、「色不異空」「空不異色」に驚いた。 ものの本によると「実在は無に異ならない」「無は実在にことならない」ということらしい。 私にとっては初めての考え方だ。 

最初はゲーテの「ファウスト」の主人公が語る言葉「人生は空中に浮遊する水滴に太陽の光があたって生ずる虹のようなものだ。」を思い出した。  「なるほど人生は幻影にすぎない。」 しかし、これもまだよくわからない。 

 

後に物理学の授業で、相対性理論によると、エネルギーと質量が等価であること知った。  これは実験で確認されたことで、質量は消失すると大きなエネルギーとなり、このことがヒロシマの原爆につながった。  飛散したエネルギーはエネルギーの塵となって宇宙のどこかに浮遊して、あるとき、別のエネルギーの塵とともに冷やされて再び質量に転換するということであった。  

物理学ではエネルギーは質量と等価である。  エネルギーが死んだ状態、すなわち、質量を有する状態は「存在」を意味する。  エネルギーが生きている状態は質量を有しない状態である、すなわち「非存在」を意味する。  私は結論した「存在は否存在に転換できる。  非存在は存在に転換できる。」  今は、えらい物理学者が言っていることだから、とにかく「色不異空、空不異色」は「e=mc^2」のことだな。

 

ところで、食事の準備と後始末は当番がおこなう。  自分が当番のときは、座禅には参加しなくてよい。  当番以外の学生達が座禅で結跏趺坐しているとき、当番は井戸から冷たい水を汲み上げ、食器を洗わなければならない。  座禅で座るのは地獄である。  しかし冷水で食器を洗うのも地獄である。

 

無事「万福寺合宿」も終わり、下宿から学校へ通う。 隣部屋の友人が明治時代に早稲田大学が出版した「通俗三国志」を貸してくれた。  私は三国志が大好きである。 中学時代に吉川英治の「三国志」を何回か読んだ。 ただ高校時代には図書室で羅漢中の「三国演義」を読んでからは、吉川英次の「三国志」になんとなく違和感を感じていた。 私は6歳のとき上海から引き揚げてきた。 あのときの列車の車窓から見た大地の印象となんとなく違う。 国民性の違いからか和製三国志は情緒に過ぎる。 あのカラリとした残酷さとドライさとに満ちた漢字ばかり多い(もっともフリガナ付き)「三国演義」を読みたいものだと思っていたばかりだったので、再びフリガナ付き漢字ばかりの「通俗三国志」が読めるのは嬉しかった。

 

「通俗三国志」は上下二巻からなり、「天地ヲ祭リテ桃園ニ義ヲ結ブ」に始まり、「孔明秋風五丈原」を経て「王シュンノ計(ハカリゴト)石頭城ヲ取ル」に終わる。 

 

冬期休暇中、私たちは瀬田川のボート部の基地で強化合宿した。  1月学校が始まると開放されて2月の期末試験に備えるため下宿に戻った。    

平常あまり学習しなかったので、にわかじたての試験勉強はしんどかった。 おまけに風邪をひいたりして散々であった。 なんとかやりくりして3月に一年目の後期を終了した。  宇治分校とおさらばするときとなった。

 

これからは2年目の授業を吉田分校で受けるために、宇治の下宿を引き払い瀬田川の教養部合宿所へ引越した。  

 

宇治分校(4)

宇治分校(4)

 

8月の始めに合宿所から開放され、8月の終わりまで郷里で過ごした。 毎朝涼しいうちに、犬を連れて武庫川河川敷へ散歩に出る。 昼は高校時代の友達などと集まって話しをしたりする以外に、なにせ暑いので、家でごろごろする以外に何もできない。 父の本棚にあったショーロホフの「静かなドン」の翻訳本を引っ張りだして、興味にまかせて読み始めた。 小説は長かった。 

 

・・・ドン川の両岸には草原広がり、麦畑とコサックの部落がある。 コサックの若者グリゴーリイと隣のステパン家の若嫁アクシーニャとはふざけあう間柄だったが、だんだんお互いが好きになってゆく。 グリゴーリイの親父パンテレイは、こりゃいかん、問題が起こる前にとコサックの娘ナターリヤと結婚させる。 ところが第1次大戦が始まりコサックの男たちは戦地に招集される。 

もちろんステパンも。 ・・・やがてグリゴーリイもドイツとオーストリーの戦にかり出される。 ・・・ ここまではどこの国でもよくありそうな話だ。  

 

ところが、本当の悲劇はこれから始まる。  革命それに続く内戦!!! 

国どうしの戦いは利害にもとづく。 原因も簡単、収束も単純。 ところが今度はイデオロギーの戦いだ。 赤いか白いか。 ドン川流域のコサックの村にも村人を赤く染めようとコミッサールが入りこんでくる。 同じ村の村人は赤と白に分かれて殺しあうことになる。 殺しあう理由はほんのばかばかしい理由だ:赤につくか白につくか。

グリゴーリイは周囲の状況に流され、あるときは赤軍、あるときは白軍として戦う。 彼は片方が相手方を殺すのに、どれほどの正しい理由があるのか、100%信じているわけではない。 しかし殺さなければ、殺される。 生き延びるために殺すのだ。

ついに彼は敗残兵となる。 赤軍の連中が探す。 彼はアクシーニャと逃げる。 アクシーニャは撃たれ馬から落ちる。 

彼はすべてを失ったと思った。  失意!!!  しかし、ひとりの息子だけは残っていた。 物語はここで終わる。

 

「静かなドン」を読んで私はイデオロギーのための戦争は最も残酷な戦争だとおもった。 共産主義は宗教の一種にすぎない。 宗教は「光」と「闇」という最も原始的な理由で物事を分ける。 これは人間の未発達の脳ミソで創り出した絵空事だ。 それにもかかわらず人々は宗教が異なるという理由で殺しあう。 領土争いの戦争の方がまだましだ。 こちらは終わるのも簡単だ。  宗教戦争は相手の皆殺しまでつづく。

9月にはすでに宇治の写真館の2階の下宿部屋のもどっている。 ボート部の練習はない。 学生たち10月の中ごろにある中間試験の準備をしなけれればならない。 試験は前期での私たちの学業履修度をはかるものだ。 試験の一週間くらい前まで授業はあるが、午後3時ごろからは自由だ。 試験勉強をしたり読書をしたり。 夕食後数学と物理学の問題に取り組む。 前期ではボートの練習があり、あまり勉強していなかったので頭が痛い。  夜おそく、勉強のあと気分転換に散策に出ると、あちこちの下宿屋の窓には灯がともり、学生たちが勉強や読書に励んでいる影法師が見えた。  涼しい空気の中、ぶらぶら歩くのは気持ちがよい。  月明かりの中に、1000年年前に建立された国宝の平等院が見えた。  

受験準備に追われた1ヶ月が過ぎ、必要な課目の中間試験に合格した。 10月中旬に後期授業が始まった。 

 

我々学生は両親から離れているので、親の目を気にする必要はなく自由に振舞うことができる。 写真館のせがれはよく我々の2階の部屋を訪れ、我々3人はしゃべったり、歌ったり、タバコをすったり、時にはウイスキーを飲んでおおいに楽しんだ。

ある晩、せがれはしこたま酔っ払ったので、我々は彼を肩にかついで階段を下り、彼の寝室の寝床に寝かせて、自分たちの部屋へもどりぐっすり眠ってしまった。  つぎの朝、おばさんは登校しようとする私たちに抗議した。 なんでも、せがれは食ったものをすべて吐き出したあげく、便所で寝ていたのを朝方に見つけたらしい。 我々に2度とこんなことを起こさないようにときつく注意した。  このとき以来私たちはしばらくは謹んで生活した。

 

ボート部の練習は新人の真野への遠漕で始まった。 新人20数名が4人の先輩部員の引率で3艘の木造の艇に分乗し瀬田川を出て琵琶湖の西岸に沿って北へ漕ぎ出す。 1艘につき約10名で6人の漕手とコックスが定位置に、それ以外は甲板で交代要員に分かれる。  

左には秋の比叡山が横たわる。 いつものように頭の上は青い空であってくれれば、ありがたいのだがあいにくの曇り空。 右側にはいつもならきらきら輝く湖面だがあいにくこの日は薄ら寒いさざ波。 はるかに比良山もくすむ。

昼頃左岸に上陸し、ボートを砂浜に引き上げて休憩する。  砂浜の松林で枯れ枝を拾い集め、焚き火をおこして車座になり、昨夜当番がこしらえた「にぎりめし」を食べる。  昼食後は相撲をとったり、バレーボールをついたり、松林を散歩したりする。

ころあいをみはからって、「全員艇へ!」、主将の号令。 艇を砂浜から湖面へ引き摺り下ろしして湖へ漕ぎ出す。 ゆっくりと帰途につき、夕方に疲れきって艇庫に到着した。 これは来年2回生になってからの琵琶湖周航の予行演習だ。

 

真野遠漕の後の毎日の放課後は運動場での陸上強化練習がつづく。 後期の試験までは時間があるので下宿へもどってからは夜には時間がたっぷりある。 私は「大菩薩峠」という長い長い小説を読み始めた。 この小説は明治維新までの様々な人々の人生を描き、ついでに作者中里介山の文明批評まで自由に混ぜ合わせた仏教小説というべきか教養小説というべきか。 

夏休みには「静かなドン」を読み、秋には「大菩薩峠」を読み始めたがいずれの小説でも、時代が大河のように流れ、その中で個々の人間は、うまれては消えてゆく小さな渦のようなものだと感じた。

(ついでだが、漕艇では漕ぎ方がまずいと渦は弱々しく、すぐに消えてなくなるが、しっかり正しく漕ぐと渦はいつまでも艇の後ろに残っている。) 

 

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