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2016年3月

2016年3月28日 (月)

私の記憶9 1946 秋

さて、田畑の空気も太陽の光までくっきりして黄色がまじってきたような気がする。 野に赤トンボが飛びはじめる。 赤トンボは胴体が真紅で、捕って胴体をじっと見ると目が悪くなるぞと大人には言われていた。 (最近ほんとうの赤トンボを見たことがない。 オレンジ色のまがいものばかり多く飛んでいる。)

あぜみちの相撲取り草を抜き取って、皆で引っ張り合いをして遊ぶ。 夏休みが終わる。
学校ではひらがなを習い始める。 

そのうちに米の収穫だ。 ふたたび休校となって、稲刈り。 稲の束が横木に干され、数日して足踏み脱穀機がギーコ、ギーコと響きわたる。 脱穀の済んだ稲束は円形に積み上げられ、円筒形になったものが田のあちこちにならぶ。
稲束の円筒形には野鼠の子がうまれる。 私たちは野鼠の子を飼いたいと、何人かで大人に頼んだ。 百姓は円筒形の下をこじあけて、出てきた野鼠の子を何匹がグシャと地下足袋で踏みつぶし、鼠を飼うのは駄目だといった。 

もうすぐ運動会。 私は走りでは一年生で中よりも下。 
運悪く数日前から風邪をひき熱が出て走れない。 当日、母、私、弟は学校へ出かけ、村の応援のため村人ごとに分けられた応援席に座る。 応援席は村ごとに教室が割り当てられ、窓を開けっぱなして運動場の村の子供を応援する。 かけっこ、リレー、玉いれ、綱引き、等々。
 昼には参加した子供たちももどってきて、村ごとがやがやと昼飯。 

あちこちでキンモクセイの匂いがただよう。 あちこちの柿の木にも橙色の実がいっぱいになっている。 学校から村に着いて家に帰る道で、小川の橋のそばの柿の木から熟した柿が落ちていた。 拾って食いつく。 あまい。 食いながら歩いていると、偶然そのそばを通った婆さんが見つけて「タクロー。お前その柿盗んだか?」「落
ちとった。」 なおも、疑わしそうな顔をして見ている。 くそババア。

だから私は婆さんはみな嫌いだ。 家主の末男は私よりひとつ上の2年生だが、彼の婆さんも、なんやかやガミガミうるさい。 私もその婆さんが嫌いだ。 彼と私はババアに復讐しようということになった。
婆さんが納屋の真ん中で縄仕事をする。 婆さんの後ろには米俵が積み重ねられている。 幸い婆さんは耳が遠い。 2人で気づかれずに四苦八苦して米俵を引きずってきて背中の後ろに立てた。 2人は積み上げられた米俵のてっぺんにのぼり、長いさおで婆さんの後ろに立てた米俵をつつく。 米俵は婆さんに倒れ掛かる。 下敷きになった婆さんは大きな声でわめき散らす。 ババアめ。
私たち二人はこっそり笑う。

私たちは川のこちら岸の林によく遊びに入る。 うっそうとしていて、カラスウリが赤くなってぶら下がっていたり、名前もわからない実がなっていたり。木にはつたが高く巻きついて枯れ掛けてだらりと下がっている。 小さな赤い実や紫の実をかじってぺっと吐き出してみたり。 秋も終わりに近かずくと夕暮れも早い。 田んぼの方からカラスが三々五々帰ってくる。 青空の半分が赤くなったら私たち
は村に帰る。 赤い方の空に鴨の群れが高くV字型編隊を組んで遠い山脈の方へ飛んでゆく。 

さて、名古屋へ長時間かけて通勤していた父は以前から大阪で働こうと考えていた。 冬、私たちは布施市へ移った。 
(だいぶあとに「ふるさと」という歌を習った。 この歌は私の好きな歌だ。 この「あとべ」村での一年間の生活で、この歌の意味と情感も腹のそこから感じることができる。 
それと同時に、私自身はそこからなぜか遊離しているようでもある。)

(つづく)

2016年3月12日 (土)

私の記憶8 1946年夏

「ほー、ほー、ほーたる来いーーー」口ずさみながら母は 麦わらで蛍かごを編んでくれた。 夜、近くの小川には蛍 がとんでいる。 蛍は草に止まっているのをそっと両手でと らえる。 蛍を傷つけないように、手のひらと指をむにゃむ にゃと動かして右手の親指と人差し指とで蛍をつまむ。  ポイと蛍かごに入れてふたをする。   あたりは月明かり以外は真っ暗。 空には満天の星。 天 の川が流れる。 とりわけ輝く彦星と織姫はすでに知って いる。 草むらではすでに少しづつ虫の声。 田からはとき どき蛙の声。 

午前中は田んぼの方に「たも」(手網)をもって、出かける。  昆虫もフナも同じ「たも」で捕える。 やんまが飛んでい る。 多くはオニやんまとギンやんま。 たまにトラやんま。  麦わらとんぼや塩からとんぼは手で捕まえることのできる 私にも、やんまに関しては年上の子供から「たも」で取るコ ツと悪知恵を教わる必要がある。

まず、オニやんまは両脇が濃紺でオス。 ギンやんまは両 脇が銀色でこれはメス。 やんまはすばやく、高く飛ぶ。  私たちは田に入ることは許されないから、道端で待ち伏 せ。 やんまは道端の草にあまり休んではくれないから飛 んで来たのをすばやく「たも」で捕り押さえる。  ぎっちょん、これはオニやんまとギンやんまが縦につな がって飛んでいるやつ。 これが捕れれば申し分ないが、 これは年上の役目。 年上が捕ったギンやんまを借りて、 釣竿の先に糸でくくって、おおきく竿をまわし、「ダッホ エー、ダッホエー、---」と田の上をとぶやんまに、声を かける。 みすみすつられて道に飛んできたオニやんまを「たも」で 御用。 やんまは虫かごに入れる。 虫かごは竹ひごと竹 の角棒の組み合わせでできている。 (このとき、子供は自分が遊郭の一店主を演じているとは 夢にも思わぬ。)

村では高等科1,2年が私たち低学年を連れて近くの川に 行き、泳ぎを教える。 最初、私は顔を水につけるのが恐 かった。 だんだん息を止め顔をつけたまま犬掻きで泳げ るようになった。 岩から飛び込むこともできるようになっ た。 ただむやみと腹を水にうちつける。 まだ顔をあげて 息をしながら泳ぐことはできない。

あるとき、皆で川の中で遊ぶ。 潜っている者の耳が痛くな る。 これは川向こうの村のヤツがわざと水の中で石と石を ぶつけたに違いない。 こちらの高等科はむこうと言い争 いを始める。 けんかになる。 両岸から石の投げあいとな る。 年上が石を投げ、私たち小さいのは手ごろな石をえ らんで戦線へ運ぶ。 そのうちに、向こうは隊長を先頭に 棒をふりふり一本橋を渡ってきた。 わが村は総崩れ。 私 たち年少組は後をも見ずに村へ逃げ込む。 生垣の木の 間を抜けて農家の縁側の下の隠れ場へもぐりこむ。 爺さ んが木刀をもって家から飛び出してきて、隣村の追跡者の ガキ共を追い払ってくれた。

おひつに入れた麦飯をめざしと野菜を煮たもの、漬物と いっしょに何杯も食う。 2、3日すると飯は匂いがつく。 し かし腹いっぱいにはなる。 昼のおやつといえば、ときどき瓜やトマトにありつくが、通 常はきゅうりやなすびを畑からもぎったものをそのままかじ る。

快晴。 母の女学校の同級会に木炭バスに乗って浜の松 林へ。 母親たちが話している間、子供たちは白浜できれ いな貝のかけらを拾ったり、打ち付けられたこんぶを引っ 張って遊んだり。 昼食後子供たちには松原にハンモック を吊るしてくれたので、規則正しい波の音とそよそよとした 松風をききながら気持ちよく昼寝。

こんなこともあった。 母には隣村を通って町へ出かける用事ができた。 私を同行させた。 私は気が進まなかった が、いやいや母の後ろについて行く。 村の子供たちはヨ ソモノにはきわめて排他的だ。 あ、やっぱり。 私とおなじ 年頃の2,3人が生垣の木の陰を見え隠れしながらついて きている。 母から見えないと私の背中を棒でつついたり、 麦藁帽子の縁の後ろを引っ張ったり。 母が後ろをふりむ くと木の陰にかくれる。 いやな気分だ。 やっと、町についた。 母は食堂で氷水をおごってくれた。  赤いシロップのかかったやつ。 私には氷水は初めて だ。 ついでに紙幣や小銭の数え方と、円と銭でおつりの 計算のしかたなどを教えてくれた。

(つづく)

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