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2017年6月26日 (月)

吉田分校(3)

吉田分校(3)

 

さて、ボートのコックスといえば、よそ目には漕手に重労働をさせて、顔のメガホンから号令して、船尾にふんぞり返ってラクして風にふかれているように見えるらしいが実情はそうではない。 

 

まず真っ直ぐに操舵すること。 これがもっとも難しい。 遠い前方に重なる2つの目標を定めこれを外さない。 横風があり、流れがあり、ひと漕ぎごとに漕手の左右のアンバランスがあるから直線に進ませるのはもっとも難しい。 

 

次に細い艇のバランスを取るのも結構面倒だ。 わがクルーの漕法はキャッチ漕法といって、漕手全体の息が完全にあって、かつ風や波がないときには、理論的には最善だが、そうでない場合には不安定である。 (他の多くのクルーが採用しているフィニッシュ漕法の方が安定している。)

 

右手のストップウオッチで、常に定めたピッチで漕いでいるかをはかり、適宜号令すること。 レースではスタートダッシュ、コンスタント、せりあったときのダッシュ、など決められた作戦、漕手の疲労状態、相手の状態からの作戦を整調(8番)と相談しながら号令を下す。 

 

漕手から見れば、コックスはローマの軍船の船尾で、太鼓でリズムをとりながら、奴隷の漕手に命令を伝える号令役だ。 親分のコーチの執行小役人ていどに見えているのだろう。 

 

さらに早朝、各部屋を回って「モーション」と大声を出し皆を起こしてまわる役割ももつ。 眠いのを叩きおこされる漕手から見れば憎くて当然の役割である。  

 

もっとも私は若くて単純だから、コーチに言われるままに伝令するだけで、漕手が考えることなどに気はまわらない。

 

さて学校。 ドイツ語講読の教科書は"Die Frau des Pilatus" von Gertrud von le Fort)「ピラトの妻」。 隣の「ホンチャン」の合宿所へゆけば、読書室もあり勉強もできるが、教養部の合宿所では自分が教室で読まさられるところだけ寝転んで単語をひいて行く。 訳本をもっていればもっと手抜きできるが、もってないからしかたがない。 もっとも、単語さえひいておけばドイツ語は論理学のように機械的に言葉を並べれば、単純な物語では比較的簡単に解読できる。

・・・

この本はローマからユダヤを治めるべく派遣された総督ピラトの妻クラウデイアの物語である。 ユダヤの民衆はイエス・キリストを捕らえてローマ派遣総督ピラトの邸宅へ引っ張ってきた。 イエスは反逆者だから、彼に死刑を宣告してくれと騒いできたのである。

 

ピラトはもともとイエスは正しいと思っている。 

ピラトは裁断を下す前に沐浴して身体を清めユダヤの民衆の前に立つ。 そのとき妻クラウデイアが、女中をつかわし、彼女は不吉な夢を見たのでイエスを開放するようにと懇願する。

 

ピラトはユダヤ人たちにいう。 イエスは悪くない。 丁度復活祭だ。 このしきたりにそって、別の悪人バラバを代わりに死刑にするから、それでイエスの処刑は許してやってはどうかと持ちかける。 

 

ユダヤの民衆はがんとして受け付けない。 

(この情景はパク・ウネ弾劾を要求する韓国のデモ隊そっくりだったのだろう。)

 

民衆は聞きいれない。 叫ぶ「駄目だ。 イエスを磔に! イエスを十字架に! 彼は皇帝の敵だ!」 イエスは十字架にかけられる。

 

ピラトは善人だ。 しかし決断力がない。 彼は民衆のイエスにたいする慈悲を期待し、同時に民衆を満足させようとした。 しかし、彼はユダヤのおろかな民衆の声の大きさに負けた。

 

ピラトにはローマから派遣された総督として絶大な権力がある。 「わしはイエスを解放する! お前たちの方が悪い! ぐずぐず言わず立ち去れ。 でないとローマ法典に照らしてお前たちを厳重に処分するぞ!」とも言えたはずだ。

 

「正義」を選ぶか「衆愚」を選ぶか。 正解はないだろう。 ただ、選ぶときは断固として決断して、あとは結果を静かに待つしかない。

Yoshida3

 

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