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2017年6月26日 (月)

吉田分校(8)

吉田分校(8)

 

さて学校での授業は続く。 私達工科系の学生にも人文系の教養科目の単位は容赦なく課せられている。 ボート部の練習との兼ね合いで、どうしても選択しなくてはならなかった課目は「倫理学」。 この課目で学生は私を含めて5人だけ。 私以外は女子学生1名と3名の男子の文学部の学生だけだ。 

 

教科書はドイツから取り寄せた"Georg Simmel: Hauptprobleme der Philosophie"。 教官は学生にページを割り当て、予習してきて教室で順番に翻訳せよという。 

 

私は訳本を持っていないから、毎週1回合宿所の読書室で独和辞典をひいて単語をノートに書き込まなければならない。 文学部の学生は怠惰だからよくさぼる。 教室では教官と女子学生と私の3人だけという場合もおおかった。 

試験を受けなくても1年間に3回以上さぼらなければ単位だけはくれるというから私は逃れられない。

 

さて、さぼった学生の担当箇所は教官が翻訳して、内容を説明する。  ドイツ語の文章はひいた単語を文法どおり日本語で並べればよい。ただし、その日本語の哲学用語の意味がさっぱり分からない。 私には哲学はチンプンカンプンだ。 教官は根気よく私の訳をなおし内容を説明してくれた。

 

冬になった。 この年も残り少なくなった。 学校が冬休みになりほっとした。 なおも瀬田川と琵琶湖の練習はつづく。  

 

昭和35年(1960)となった。 世間の経済状況はますますよくなった。 みんなは、イデオロギーに関係なく、明るい未来を信じた。

 

1月後半と2月前半は試験期間となり、西宮の家から片道2時間半以上かけて通学だ。 

普段の合宿生活であまりよく勉強できていなかった数学、物理学、力学、語学は基礎が大切だから、にわか勉強ではたいへんだ。 

人文系の学科は出席点やら、適当な作文で切り抜けた。 地獄の1ヶ月が過ぎて、学部に進級の単位は最小限とることができた。 

 

しばらくして、ふたたび瀬田川河畔の合宿所での生活が始まる。 あっと言う間に教養部の2年間が過ぎた。  吉田分校ともお別れだ。

 

4月からは東一条をはさんで北側の本学構内の古色蒼全とした機械工学教室に通うこととなった。 

教養部のクラスは分解され学生はそれぞれの学科にゆく。 

学生も教官も教室も雰囲気ががらっと変わった。 教授による授業も重々しく、専門的だ。 私も大人になった気分だ。 

 

しかし5月の予選が済むまでは、あいかわらず私の瀬田河畔での合宿生活は続く。

 

(おわり)

Yoshida8

 

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